はじめまして、サイト運営者のキララ☆です。
ここでは、プロフィールをかねた私の自己紹介をさせていただきます。

かなり長くなりますが……、始めますね💦
目次
成長とともに意識は外側へ
子どもの頃は、おてんばで好奇心旺盛、なんにでも興味をもつ明るくてとても活発な女の子でした。
この好奇心旺盛、活発というのが、歳を重ねた今でも私の本質ではないかと思っています。

この本質が大きく変わることはなかったのですが、思春期そして大人へと成長していく過程で、世間の常識や社会性を身につけ、向かう方向性が少しずつ変化していきました。
子どもの頃は人目も気にせず、単純に楽しそう、やってみたいという自分の純粋な好奇心だけで動いていました。
けれど成長するにつれ、自分の価値を外側からの評価によって見るようになっていきました。
すると他者からどう見られているのか、どう思われているのかがとても重要になっていきます。
そのため興味の向かう先が、友人関係や恋愛、流行のファッションや社会的安定など、外側から見てわかりやすい、評価を受けやすいものに限定されていきました。
自分の内側の世界に目を向けるよりも、外側の限定された世界に意識を合わせて、空気を読んで時流に乗っていくという方向に変わっていったのです。
ただこれは、今だからわかるのであって、当時はまったくの無意識でしたし、なんの違和感も感じていませんでした。
むしろ、外側に合わせていけることを大人になった証くらいに思っていたと思います。
幸せな家庭生活
私がまだ独身だった頃(30年以上前のことです)は、女性は結婚したり、子供が生まれたら、仕事を辞めて家庭に収まるというのが主流でした。
すべての人ではありませんが、大半の人がそれを選んでいたように思います。
社会的通念として、女性はよき伴侶を見つけて、家庭に収まることが幸せだと思われていたのです。
私もこの時代の考えを自然に受け入れ、自分がなりたいものを見つけて夢を追いかけることもなく、当時一番スタンダードだった道を選択しました。
なんの疑問も持たず、条件のよい会社へ就職して、結婚して、子供を生んで、仕事を辞めて家庭に収まりました。
これはこれでとても幸せでした。
仕事にとくに未練もありませんでしたし、何より心から大切だと思える家族に恵まれたのですから、それだけで十分に幸せです。

ふと芽生えた一抹の焦り
でも実はその陰で、自分でも気づいていない思いが心の奥に芽生えていました。
・私の人生、この先もこのまま母親と主婦だけをつづけていくのだろうか?
・私にはもっともっと、他にもやること、やりたいことがあるのではないか。
そんな寂しさとも焦りとも言えるような思いが生まれていたのです。
今、その頃を振り返ってみると、これは魂からの呼びかけだったような気がします。
でもそのときはまだ、そのことをはっきりと意識できていたわけではありませんでした。
とくにやりたいことがあったわけでもありませんし、家庭に不満があったわけでもないのです。
ただ漠然と、ちょっとモヤっとしたようなものを感じているだけでした。
チャンスは突然にやってきた
そんな私の心の奥の思いが引き寄せたのか、チャンスは突然に訪れました。
今から20数年前のこと、友人の紹介で出版社でアルバイトをすることになったのです。
仕事は電話番や郵便物の発送などちょっとした事務や雑用でした。
それでも読書好きの私は、出版社の編集部で働けるだけでワクワクしていました。
実は就活のとき、出版社で働きたいという気持ちがあったのですが、結局は勤務時間や給与など待遇面の条件を考慮して、すべてで安定していた大手電気メーカーを選んでいたのです。
それにアルバイトではありましたが、久しぶりの社会人生活で、誰かの妻とか母とかではなく、私個人として扱われることがとてもうれしかったのを覚えています。
定期券をもって電車に乗るのもとても新鮮でした。
このような流れで家事や育児との両立をしながら、楽しくて充実し毎日を送ることになりました。
そんな生活が1年程たったころ、またまた転機が訪れます。

さらなるチャンス到来
いろいろな状況がいくつも重なって、書籍編集の仕事をすることになったのです。
当時の私はというと、編集の仕事に関してはまったくの未経験、年齢はすでに30代半ば、小学生の二人の子を持つ主婦です。
しかもここでのアルバイトを始めるまで、仕事のブランクも10年近くありました。
そんな私が突然、学生時代にあこがれていた出版編集の仕事に携わることになるのですから、本当に何かに導かれたとしか言いようがありません。
このとき、本当に自分にできるのだろうか、勤まるのだろうかという多少の不安はありました。
けれど、やらないという選択肢は1ミリも浮かんではきませんでした。
それからは、せっかくつかんだこのチャンスを生かそうと、必死で仕事を覚えていきました。
そして、忙しいながらも充実した日々を送ることになります。
スピリチュアルとの出会い
遅ればせながら新米編集者になった私の担当は、スピリチュアル&サイエンス。
これが私のスピリチュアルとの最初の出会いでした。
私が仕事を始めた頃は、スピリチュアルに対する認知度は低く、魂だとか宇宙だとかそんな話をすると、変な話をする怪しい人扱いされるような状況でした。
私自身も、最初の頃はよく頭のなかに???が飛んでいました。
でもその一方でなぜか不思議なことに、知っているという感覚もありました。
それまで、現実をよく見て、先々のことも考えて、過去のデータを参考に判断するように教育されてきました。
それが、効率よく成果を得ることになると教えられてきました。
社会もそういう雰囲気で、私もそれが当然だと思っていましたし身についてもいました。
今まで正しいと信じてやってきたことを根底から覆すような話ですから、当然なかなか受け入れきれません。
にもかかわらず、やっぱりどこで知っているという感覚がありました。
しばらくは、この知っているという感覚と、わからないという思いの狭間で揺れ動いていました。
それでも仕事ですから、次々と原稿が回ってできます。
するとあるとき、原稿を読んでいると言葉が心にスーッとしみ込んでいくのを感じました。
頭ではなく、心がこれは真実だと感じとっていたのだと思います。
そしてさらに多くの原稿を読み込んでいくうちに、その感覚はどんどんと膨らんでいきました。
スピリチュアルを知ってかえって苦しくなる
スピリチュアルがわかりだすと、今度はそれを実生活で、どう活かしていこうかと考え始めます。
ところが、これが苦しみの種を生み出すことになりました。
感謝が大事、執着は持たない、何事もポジティブに受け止める、自分に起きることは自分に原因がある等々は、スピリチュアルの話によく出てくるフレーズです。
私もふだんの生活のなかで、これらのことを意識するようになりました。
するとこれまでだったら、サラッと流せていたようなことが流せなくなり、自分はちゃんとできているだろうかと気になりだします。
そして、こんなこと考えている自分はダメ、こんなことを感じている自分はダメ、これができていない、あれができていないと、自分を責める自己批判が始めまりました。
まるで自分のなかに、自分の思考や感情を見張ってジャッジする、もうひとりの自分がいるような感じです。
自分を責めて、批判して、罪悪感や自己嫌悪に陥って、どんどん苦しくなっていきました。
人生をよりよいものにしていくはずが、かえって苦しくなるばかりです。
これでは本末転倒、意味がありません。
そこで好奇心旺盛な私は、スピリチュアルの実践をあきらめるのではなく、何がいけなかったのか探求してみることにしたのです。
ネガティブな感情に寄り添ってみる
まずは、心のことを知るために、カウンセラーの養成講座を受講することにしました。
プロになる前段の基本講座だけの受講でしたが、これはとても役に立ちました。
何しろ私のなかにいた見張ってジャッジする存在が、感情に寄り添って本音を引き出してくれるカウンセラーに変身したのですから。
こうして、自分を責めることをやめました。
そしてネガティブな感情が出てきたら否定するのではなく、感情に寄り添って受け入れるようにシフトしていきました。
すると、なぜそう感じてしまったのか見えてくるようになりました。
それは自分のなか(潜在意識)に隠れていた観念(思い込み)が、出来事や状況に反応して出てきていたのです。
観念を見つけることで心がクリアになっていく
スピリチュアルでは自分の心を向ける方向、指針を示してくれています。
自由意志が尊重されていて、絶対にできなくてはいけないことは何もありません。
ですから、何かが違うと気づいたら選択し直す、心の方向を見直すということを淡々と行えばよいだけで、自分を責める必要はどこにもなかったのです。
けれどこれまでの習慣(観念)で、無意識のうちに、現実を見て効率よく成果を出せていないことに、すぐに反応してしまっていました。
ひとりで勝手に焦って、もがいていただけでした。
自然に身についてしまっている観念は、なかなか見えにくいものです。
でも観念がわかれば、後は手放したり、書き換えたりできます。
これをつづけることで、少しずつですが心が軽く、クリアになっていきました。
この作業は結構奥が深くて、一度や二度でで何とかなるものではなく、わかったと思ったら、さらにその先があったりして、段階を踏んで進んで行かなくてはなりません。
ですから、行きつ戻りつしながら今でもつづけています。
心がクリアになって訪れた変化
心がクリアになってくると相乗効果もあって、これまで表面だけでとらえていたスピリチュアルへの理解が、より深まっていったような気がします。
すると、なぜかまたまた状況が変化します。
あるとき突然に、もうそろそろ仕事を卒業する時期かなという考えが浮かんできたのです。
とくに理由はありません。ただ、ときが来たという感じだったように思います。
もしかしたら、ここでやるべきことは終わったという導きだったのかもしれません。
不思議なことに私がそんなことを感じ始めると、状況がいろいろ変化して、自然に仕事を辞める流れができていきました。
こうして約15年間、携わってきた書籍編集の仕事を辞めることになったのです。

ここでは長い期間、本当にたくさんの経験をさせていただきました。
ここでの経験が私を成長させてくれましたし、ここで学んだことが人生の基盤になっています。
そして、今でも心からの感謝でいっぱいです。
心から好きなものを楽しむ
先のことをあまり考えず、直感と流れに乗って、あっさりと仕事を辞めてしまったので、急に時間に余裕ができました。
せっかくですからこの時間を、自分が心から楽しめることに使いたいと考えました。
そこでまずは、以前から興味のあった一眼レフカメラを購入して、写真を撮り始めました。
季節の花の写真を中心に、旅行先での風景写真などを撮っています。
写真を撮るのは本当に楽しいです。
自然のなかで、ファインダーを覗いていると無心になって時間を忘れてしまいます。
そして癒されます。
このサイトで使用する写真はすべて、私が撮ったものを使っていきたいと考えてています。

そしてその後、ひょんなことから糸かけ曼荼羅に出会いました。
糸かけ曼荼羅については他のページで触れているのでここでは省きますが、完全に一目ぼれです。
流れに乗って生きる
写真も糸かけ曼荼羅もこれから先ずっと、ライフワークとしてつづけていきたいと思っています。
これらは、編集の仕事をつづけていたら、きっと時間がなくてできていなかったと思います。
それを思うと出会いのタイミングの大切さを感じます。
もちろん、心と向き合って、クリアにして整えることは、今でもつづけています。
これからは心の探求、糸かけ曼荼羅、写真を柱に、このサイトを運営していきたいと思っています。
振り返ってみると、私はこれまで、流れに逆らわず流れ乗って生きてきた気がします。
そしてこれからも、流れに逆らわずに生きていくのだと思います。
この先、どこへ向かうのか楽しみです。
どこへ向かうにしても自分を見失わず、楽しんで流れに乗っていきたいと思っています。

長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。